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社大党委員長 糸数慶子(いとかず けいこ)参議院議員

委員長あいさつ

私は沖縄社会大衆党の結党60周年にあたる2010年8月の第74回定期大会において、第11代の委員長に就任いたしました。いま、このとき、地域にねざし、県民とともに歩んできた歴史ある社大党の委員長をおおせつかり、身の引き締まる思いがいたします。喜納昌春さんの後任として委員長をお受けした以上、全身全霊を傾け、頑張っていく決意であります。

私は1992年、島袋宗康さんの後継者として那覇選挙区から県議選に臨み、初当選を果たしました。そして県議3期12年を務め、2004年、参議院議員選挙に臨み、初当選しました。今日に至る政治活動については社大党の党員、党友等をはじめ、多くの支持者、支援者の皆さまもご存じだと思いますが、私の政治信条は「平和」であります。政治のスタートのキャッチフレーズは「もっとピース、もっとフェア」でした。平和にねざした公正公平な社会の実現が私の政治理念です、

この政治理念は、沖縄社会大衆党の結党宣言にも強調されている「ヒューマニズム」の精神を引き継いだものであります。その「ヒューマニズム」の精神を生かし、そして平良辰雄初代委員長、2代と4代の安里積千代委員長、3代と5代の平良幸市委員長、6代の嵩原久男委員長、7代の仲本安一委員長、8代の瑞慶覧長方委員長、9代の島袋宗康委員長、そして10代目の喜納昌春委員長の政治理念、信条、さらに党運営と愛党精神を引き継いでいきます。

社大党の歴史については、多くは触れませんが、特筆に値するのは革新共闘の時代における社大党の役割であり、今日までの野党共闘の構築に向けた「要」としての存在であった、と自負しています。来る9月の統一地方選、11月の知事選においても「要」にふさわしい役割を担っていきたい、と思います。

ただ、社大党の現状に目を向けますと、その厳しさは周知の事実であります。党員、党友が減り、その結果としての県議、市町村議の減少となり、党運営や活動も思うにまかせません。県民に理解と協力、ご支持、ご支援をいただくには市民運動と連携したネットワークづくりなど、地道な活動実績が求められるわけであり、県民の期待に応えられる新たな党として活動の幅を広げスタートしたい、と念じております。そのためには、普天間飛行場の移設問題等に代表される基地と平和の問題や沖縄振興計画にみられる沖縄の自立経済への課題と展望、さらに雇用、子育て支援等の問題に対し、真正面から向き合い、県民合意のもとで政治を進めていく覚悟です。

いずれにいたしましても、委員長就任は私の政治家としての集大成と捉えています。中央の政局が混迷を深める中、地域政党の存在が問われています。県民が自らの意志と力で生きる道を選択すること、言い換えれば自立への道、自治の確立を目指すということ、そのことこそが委員長就任の最大の目的なのです。そのために社大党は県民と共に歩み、あらたな歴史を刻んでいきたい、そう決意しています。

 今後とも多くの県民のご理解とご協力、さらにご支持、ご支援をお願いいたします。最後に2007年の参院選における私のャッチフレーズ「この気持ち、この思い、すべては沖縄のために」、このキャッチフレーズをあらためてこの場を借りて県民の皆様に発信させていただきます。

 ありがとうございました。

                   2010年8月6日

                   沖縄社会大衆党委員長 参議院議員
 糸数慶子